10年前、目の前で泣き崩れた女子高生
欲しいのは、アドバイスじゃない。聞き出すことでもない。ただ、本当の自分を置いておきたいだけなのです。
この記事は、今日(2026年5月27日)に、
僕のフォロワーさんが投稿したnoteを見て思ったことを記しています。
決して、何かを伝えたいとかではなく、
僕自身の過去を思い出させてくれた記事だったので、
思い立って執筆することにしました。
あえて、その方にメンションすることもしません。
もし、この記事を通して感じるものがあったらいいな。
そう思って書いています。
その方の投稿は、
色んな方の意見は嬉しい。でも、簡単に懐に入って、注釈されると正直しんどい
という内容でした。
(かなり簡潔に要約しているので、言い方もこちらで変更しています)
これを見た時に、僕は、すぐコメントしようと思いました。
今までの経験上、寄り添えることができると思ったから。
でも、それをしませんでした。
たった一つの『いいね』だけをそっと置いて、見守ったんです。
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欲しいのは、アドバイスなんかじゃない
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僕は教育業に就いています。(購読いただいている方はご存知かと思いますが)
そして実は、年間500人以上の高校生と話す仕事です。
自分で言うのもなんですが、
ある程度、人の行動や考え方、声の掛け方などは熟知しています。
加えて、僕自身、『人の感情』を異常に察知しやすい性格。
顔の表情やその場の雰囲気(波長に近いかな)で、
その人がどんな気分でいるのかわかってしまいます。
これはHSP(物事や感情に繊細な感性)の特徴で、
生まれつき持っている症状です。
メリット・デメリットがありますが…
長くなるので、ここでは省きますね。
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およそ10年程前、ある陽気な女子高生(Sさん)がいました。
「陽キャ」と呼ばれるに相応しい、キャピキャピした高校生。
いつ見ても、友達と笑っていて、楽しそうにしている子でした。
服装は、黒のレザーっぽいパンツに、
革ジャンのようなおしゃれ感満載のコーディネート。
ベレー帽をかぶって、いかにも【クラス人気者】でした。
いや、僕には人気者を【装っている】ように見えていた。
ある日、その『人気者』のSさんに関わる授業を任されました。
もちろん最初から、その子の本心を探ることなんてする必要もなくて、
いつも通りの授業をこなし、時間が過ぎました。
でも、その時から気づいていたんです。
『この子は、目が笑っていない。何か心の奥に抱えているものがある』
それに気づいたとしても、言う必要もない。
その子に介入するのが善でもないし、
余計なおせっかいはするつもりはありません。
数日後、改めて、
Sさんの2回目の授業をすることになりました。
いつもと変わらない様子で、明るく接する彼女。
その日も、元気が全力でした。
確か、その時は19:00くらいだったかな。
真っ暗な冬の夜。
話せば話すほど、
その子の嘘が見えてきてしまう。
僕にも、陽気にマシンガンのように喋ってくるのに、
どこか遠い。
『あのさ、別にさ、無理しなくていいよ?あんまりあなたのこと、知らないけど』
僕は、そう声をかけました。
外を眺めながら、
全く気持ちも乗せずに、適当な言い方に変えて。
『え???』
『何、急に言い出すんですか!!!!!笑』
彼女はそう言い返しました。
『いや、だからさ…..無理、しなくていいんじゃない?ここでは』
そう言い返した直後、
彼女は無言で、泣き叫びました。
僕は、決して
何か具体的なことを聞き出したわけではありません。
アドバイスしたわけでもない。
ただ、そっと、
言葉をかけただけでした。
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コップの水はいつも溢れてる
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彼女は、ずっと泣きじゃくっていました。
その日の授業は、
言うまでもなく、何の生産性もない時間。
でも、いいんです。
彼女には、必要な涙なのかもしれないから。
ちなみに、
なぜ、Aさんが何かに無理をしているとわかったのか。
それは僕には全く言語化できません。
自分自身でも、説明できない。
多分、これが僕のHSPの症状なのかもしれない。
困ったもんだ。
感情移入が激しいから、
精神的にしんどい時もあるんだから。
彼女は、数十分泣いたあと、
僕に一言だけ言ってくれました。
『先生、ありがとう。ありがとう。』
それだけ伝えて、その授業を終えました。
泣いている理由なんて、聞くつもりもないし、
アドバイスなんてするつもりもない。
ただただ、彼女は、
心のコップの水が溢れ続けていて。
それを、ただ僕は、じっと眺めていただけ。
「大丈夫?どうしたの!?」
「何かあった?話聞くよ?」
「そう言う時は、ただ泣いていいんだよ」
そんな言葉は、必要ないんです。
コップの水は、いつも溢れていて、空になることはない。
空にならないなら、
こちらの言葉も入らない。
ただ、横で、そのコップを一緒に眺めている。
それだけでいいんです。
『そう。じゃあね。気をつけて帰れよ』
それだけが、僕の言葉でした。
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聴くことは正義なんかじゃない
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その後、彼女は少しちゃんと笑っていた気がします。
別に、僕の前で本音の涙を言えたからじゃないかもだけど。
そして、Aさんは後日、
自分の本音を言ってきてくれました。
私は、ずっと偽ってきたの。
高校に入った時に、友達を作りたくて。
だから、無理して明るく振る舞ってた。
でもね、本当はそんな性格じゃない。
あの子は明るくてムードメーカーだって。
そのイメージを崩すのが怖くて、3年間。
ずっとずっと苦しかった。
家に帰っても、家族とも仲良くないし、
いつも泣いてた。
先生、ありがとね。
そこにいてくれるだけで、嬉しかったよ。
だから、これからも変わらず、偽っていける。
ありがとう。
・・・だそうです。
正直、何となくわかっていたので、
「へぇー。やっぱそうだったんだね」
くらいの返しで答えたら、叩かれて怒られましたが。
もちろん、満面の笑みで。
「話す」ことよりも、「聞く」こと。
「聞く」ことよりも、「傾聴」すること。
自分が話したい時はまず、
相手のコップの水を空(聞く)にしてから。
これは、人と接する時には必要なスキルだと思う。
【人は、口が1つで耳は2つ。話すことよりも聞くことが大事だから、耳は2つあるんだよ】
でも、多分、聞くことすらもしなくていい時もあるんだと思う。
それをどう表現していいかは、まだわからないけど。
人は、聞くと自分の意見を言いたがる。
相手のコップを、自分の水で溢れさせようとする。
でもね、
何も言わずに、
そこに座っているだけで、
心が安らぐ時だってあるんだよ。
きっと、彼女がそうだったように。
きっと、
substackでもそうなんじゃないかな?
何かの『弱み』を打ち明けている人の中にも、いるんじゃないかな?
アドバイスじゃなくて、
聞いて欲しいでもなくて、
ただ、自分がそこにいるのを認めて欲しいって。
言葉を変えて表現するなら、
通りすがりに庭に立ち寄って、
心の告白をしている人の横で、
『そうですか。そう思っているんですね。一緒にお茶でも飲みましょうか』
と、ただ一緒に時間を過ごすだけで救われる。
そんな、優しい距離感があってもいいのではないかと思います。
もし、これから、
そんな気持ちの方を見つけたら、そっと、
『いいね』だけを置かせていただきます。
「お茶、ご一緒してもいいですか」
って。
【あとがき】
今、彼女は何をしているかな。
そういえば、職場から家が近い子だったな。
もう、本当の自分を出せるパートナーに出会えただろうか。
幸せに暮らしていて欲しいなんて、かっこいいことは言わないけど、
どこかで、笑っていてくれるといいな。
そして、この記事が、どこかの誰かの助けになれたら、
僕は嬉しいなと思っています。
あなたの水が、いつかちゃんと、流れ落ちますように。





「相手のコップを、自分の水で溢れさせようとする」という表現が残りました。
善意の顔をした介入って、ありますよね。何か言ってあげたい気持ちが、相手の場所を少し狭くしてしまうことがある。
ただ隣にいる。 それがいちばん難しくて、いちばん助けになる時があります。
言うじゃなく、聞くでもなく、いる、存在を認める態度で。胸に刻みます。