『22年越し』に、大嫌いだった先生へ
腹の底から大嫌いだった先生。22年経って、今さら気づく。人間らしい本物の教師だったって。
41歳にもなろうおっさんが今、猛烈に泣きそうになっている。
本棚の奥底から、ふと手に取った古びた本。
汚くて、落書きだらけ。ところどころ黄ばんでいる。
22年前に卒業した高校の『卒業文集』だ。
別に、目的があったわけじゃない。
ただ、懐かしい”好奇心”てやつで開いただけ。
『あいつ、なにを書いてたっけ?』
『体育祭のあの場面、あったよなぁ』
って、思い出で遊ぶような感覚で手に取ったはずなのに。
(当時、付き合っていた子がどんなことを書いていたか、ちょっと気になったからってのは内緒)
それくらい軽い気持ちだった。なのに、今。
こうして記事を書くことになっている。
今になって、あの先生に感謝することはもう、遅いだろうか。
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大嫌いだった一人の教師
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僕が高校生だった頃は、まだ時代は荒々しくて。
「昔はワルだったからなぁ・・」
と自慢げに過去の武勇伝を語るおっさんがいるけど、
まさにそんな時代の端くれにいたんだと思う。
一応、進学校だったが、
一部の男子は短ラン・ボンタン(ヤンキーが来てる制服)は当たり前。
一言で言うと、『不良がモテる』。
そんな文化が残っていた頃だと思う。
僕自身も、真面目ではなかった。
高校までバイク通学をしていたあの頃。
(もちろん、校則ではアウトなのでバレたら停学・退学だけど)
ドラッグスターっていうアメリカンのバイクが大好きだった。
決して、
ヤンキーだったって声を大にして言うほど子供じゃないけど、
実際はそうだったんだと思う。
ただ、一律に素行が悪い学校だったわけではなくて、
『ちゃんと』勉強してる子達は、京都大学とか大阪とか、そこら辺は入っていた。
もちろん、僕は論外だったけど。
落ちこぼれだったわけです。
勉強もろくにしない。
態度も悪い。
先生の言うことは、素直に聞かない。
そんな生徒だった。
だから、
先生たちから見たら、面白くなかったんだと思う。
【この学校にクズはいらない】
そんな眼差しで見られていたし、それで良かったと思っていた僕たち。
毎日のように呼び出しがあったり、
服装とか、髪型で帰らされたり。
そんなんが当たり前の毎日だ。
先生からしたら、
僕たちは邪魔だったと思うし、もちろん、僕たちも大嫌いだった。
『嫌い』というよりは、必死でもがいていたのかもしれない。
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そのうちの一人に、『いなっち』と読んでいる先生がいた。
苗字に『稲』がつくので『いなっち』。
硬派の生徒・生活指導だったと思う。
まさに、日本の宝みたいな先生で、一言でいうと、
【THE 真っ直ぐ。THE 信念。THE 大和魂】。
松岡修造のもっと熱いバージョンをイメージしていただきたい。
激アツだ。
今の時代だったら生き残れないと思えるような、昭和の名教師。
僕たちは、いなっちが大嫌いだった。
目があう度に、怒られたし、
何もしていないのにタバコ検査をされたり。
(まぁ、そこら辺は、こちら側の態度が悪かったから当たり前なんだろうけど)
とにかく、ヤンキーたちからしたら邪魔でしかない教師だった。
でも、
もしかしたら少し気づいていたのかもしれない。
『この人は、本気で俺たちのことを思ってくれているのかも』
って。
ただ、18歳の僕たちからしたら、それを認める余裕はなかった。
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人間らしい本当の教師
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「いなっち」は、特進クラスを担当だった。
だから、僕のような落ちこぼれのクラスの生徒はあまり関わりがなかった。
それでも怒られ続けたってことは、
まぁ、それほど素行が悪かったと言うことなんだろう。
廊下では大声で怒鳴られ、
2階の教室にいるのに、中庭まで全速力で走ってきたこともあった。
冬の寒い日には、息が白くなっていただけで、
タバコを吸っていると勘違いされて殴られたり。
いつか仕返ししてやろうって、思っていたけど、
卒業式の魔力は計り知れないもので。
退屈すぎた教室や、怒られた廊下。
意味もわからず説教を受けた中庭も、
最後の日になると愛おしく思えた。
あれは、きっと卒業式マジックだわ。
コワイコワイ。
「楽しかった」って思いながら、
いなっちに何も心のうちを伝えずに、その場を去った。
嫌いだったことも、
本当は、自分たちを一番大事に思ってくれていたことも、
「ありがとう」の一言も。
僕の高校生活は、そこで終わった。
それから今日で22年。
久しぶりに開いた卒業文集の中に、
いなっちの最後のメッセージがあった。
当時、もしこれを読んでいたとしても、何も思わなかったと思う。
でも今は、心に染み渡るほど理解できる。
そんな言葉が、誠実に綴られていた。
そして、今、泣きそうになっている自分がいる。
【いなっちのメッセージ】
最後の話
※言葉を要約しつつ、なるべくそのまま引用します
君たちが、この三年間の高校生活を無事に終えることができたのは、当たり前のことではない。
お父さん、お母さんを始めとする君たちの周りにいる人達の精神的・物質的支援、そして君たち自身が健康に恵まれたという幸運があって成し得たことである。
「ありがとう」という気持ちをしっかりと持って欲しい。
君たちに話をするのも、これが最後だ。
私からの『最後の話』として心に留めて欲しい。
『自分で決めろ』
私は君たちに、様々なアドバイスをしてきた。
しかし、あくまでもアドバイスである。
最後に決めるのは君たち自身だ。
君たちの人生は、君たち自身のものであり、
誰もその責任を肩代わりすることはできない。
君たちは、これから大人としての世界で生き、
そこでは「選択」が待っている。
進学・就職・結婚など。
覚悟しろ。
全て自分で決めるんだ。
「成功したのは、自分の実力。失敗したのはあいつのせい」
こんな大馬鹿野郎にはなるな。
我慢しろ
近年、就職してもすぐ辞めてしまう若者が少なくない。
実は、私もそれに近い経験がある。
しかし、苦境を乗り越え強くなったこと、教師のあるべき姿が少々わかったこと。
これが私の教師としての姿勢を変えた。
若者は経験が浅く、『独善がり』である。
自分の小さな尺度で全てを考える。だが、理屈じゃないんだ。
とにかく経験を積むことなんだ。必ず何かが見えてくるはずだ。
それでも、辞めたかったら辞めればいい。
いつまでも親に甘えるな
君たちは親に甘えている。
精神的にも経済的にも親に甘えている。
親に、「感謝の気持ち」を持ち続けなければならない。
決して、『一人前』のような偉そうな態度を取ってはいけない。
『大人』とは、年齢で決まるものではない。
精神的にも経済的にも、自立した者、
それを『大人』と呼ぶのだ。
君たちも早く、『大人』になれ。
追記
君たちは、かけがえのない大切な生徒たちだ。
私がここまで教師を続けることができたのは、
その生徒たちの「言葉」によるところが大きい。
その「言葉」は、私に元気と勇気をくれた。
私を最も苦しめるのが『生徒』である一方、
私を最も元気付けるのも『生徒』であった。
私はこれからも黒板を叩き、
大声を響かせながら精一杯、生徒と向き合っていくつもりだ。
君たちが元気を無くした時は、先生のことを思い出してくれ。
「大人」となった君たちとの再会を楽しみにしている。
先生。
僕は、丁寧に『大人』になれたでしょうか。
”自分で決めろ”。
そう言われていたのに、どこかで誰かのせいにして生きてこなかったでしょうか。
”人生は自分のものだ”
そう言われていたのに、自分の選択から逃げてこなかったでしょうか。
22年が経ち、世の中は大きく変わりました。
今、あの頃のように、
全速力で走ってきたり、
親になりふり構わず意見をぶつけたり、
自分の時間を削ってでも、他人のために向き合っている
教師はずいぶんと減った気がします。
嫌われるとわかっていても、言うべきことは言うこと。
そういうものは、少し時代遅れになっているのかもしれません。
でも、あなたには本気があった。
誤魔化しでもない、執念みたいなものがあった。
人の心に残るものは、
上手な言葉よりも、そんな不器用ながらの執念なんだろうと、今ならわかる気がしています。
真っ直ぐで、純粋で、少し荒っぽい。
だけど、真っ向からぶつかってきてくれる。
そんなあなただからこそ、
時間がたった今でも、言葉だけで私の心を動かす力があるのだと思います。
多分….というか絶対にこの気持ちを
あなたが読むことはないだろうけど、
22年越しの感謝の手紙として、ここに置いていきます。
先生。
僕は少しづつ、
大人に近づけている気がします。
黄ばんで、ボロボロの卒業文集の中には、
未来に進むためのあなたの言葉がまだちゃんと残っていました。
【あとがき】
過去を振り返っても、
何も得られないと思っていましたが、案外、未来へのヒントがあるもので。
あれだけ嫌っていた教師のメッセージを、今、ここで気づいたのは何かの縁なのかもしれません。
今も、黒板を叩いているのか。
もう、教壇を降りているのか。
何をしているか、全くわからないけど、
僕は『いなっち』を探して、会いに行こうと思います。
多分、今なら、『ありがとう』を言える気がするから。







いい先生ですね☺️こういう熱血先生いたなーと思い出しました。
私を最も苦しめるのが『生徒』である一方、私を最も元気付けるのも『生徒』であった。
この言葉で、先生という職業を愛してたんだろうなと思いました。大人になると当時見えなかったことが見えてきて、今更ながら感謝が湧きますよね。
本気で向き合った者だけが書ける言葉。そして本気で歩もうとする人にだけ届く言葉。その人に必要な時に必要な言葉が届くのだと思います。