『ご縁』と『ご恩』の交差点。
持ちつ持たれつ。お互いさま。
2026年7月11日。
substackを始めてから約2ヶ月目に入ろうとしたその日。
僕は、朝も夜も感謝してもしきれないほど、「ご縁」を感じた日となりました。
少し前から、現実世界では「人との繋がり」がめちゃくちゃ大事だなって感じていたのですが…。
substackの中でも、『縁』というものを強く感じる瞬間をいただいて。
もう、来年からは祝日にしたいくらい、忘れられない日となったのです。
(今回、自分ごとの話が多くなっています。ご了承クダサイ….🙏)
🕊️:『交差点はいつも青』
7月11日の早朝。
いつもsubstackでお世話になっている Margin_Archive さんの新しい記事が投稿されました。(以降、MA団長とさせてください!)
その内容は、『手の温度は誰のものだったのか』というもの。
聞いてみると、自分(かつお)との過去の話に触れられていてびっくりしました。
改めてにはなりますが…ご紹介いただきありがとうございます🙇♂️✨。
MA団長は『恩』を、『手の温度』と表現を変えて表してくれている。
もし、彼の音源記事をまだ聞かれてない方は、一度聞いてみてください。
(自分の話が入っているからとか、そんなんじゃなくて本当に素敵だから)
実際に、団長と出会った時のやり取りはこれです。
今、この暴露をすると彼は怒るかもしれませんが、もう載せてしまったからには止めれません!(団長、事後報告ですんません🙏)
当時、団長はsubstackを辞めようと思っていたそうです。
でも、こんな素晴らしい記事が読まれないなんて勿体無い。
そう思い、僕はリスタックさせていただきました。
その経緯が、彼の記事の音源の中に入っていて、僕が交流をした経緯を、『恩』というテーマにして綴ってくれています。
そして、僕が団長に届けた想いは、ジャミ さんから受けたご恩だったとも伝えてくれています。
ジャミさんは同じように、僕がsubstackを初めた当初、何度も記事を紹介していただいて、今でも大切な同志と呼べるお一人です。
さらに、ジャミさん。
ありがたいことに、団長が記事を投稿したその日の夜、取り急ぎ、ポストを上げてくださりました。
ここでもご紹介いただき、もう、朝も夜も涙腺が崩壊するくらい感激したんです😭✨
改めて、感謝申し上げます。本当に、いつもありがとうございます!!!
こうして、お二人に出会った【ご縁】と、
いつも支えてくださっている【ご恩】が重なった日となり、正直、今でも感謝の意は忘れられません。
お会いしたことはないし、直接話したこともありません。
でも、そんなことはどうでもいいくらい、温かい人間味を感じた瞬間でした。
🕊️:『恩』の行方
でも実は、MA団長にコメントしたとき、ジャミさんからいただいた恩を『送ろう』なんて意識していたわけではないんです。
完全に、無意識だった。
『恩送り』という言葉がありますが、決してそんな大きなことを狙っていたわけではありません。
今回、団長の記事を拝聴して、その時初めて、
『あ、自分がしていたことは、ジャミさんがしてくれていたことと同じだったんだな』
って気付いたんです。
むしろ、それに気付かせてくれた団長には、さらに頭が上がりません。
(足を向けては寝ます)
何が言いたいかと言いますと、
恩送りって言葉が先行しているかもしれませんが、意識的にしていたわけではないってことなんです。
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ここからは、僕の勝手な予想にはなりますが….
きっとジャミさんも同じ気持ちだったのではないでしょうか?
決して、『恩』ってものを扱っていたわけではないと思うんです。ただ、本当に伝えたいから紹介する。
当時の僕が、MA団長にしたように、純粋な気持ちだったんだろうなぁって。
この【無意識】が正解なのか、【意識的】が必要なのか。
それは、僕は全くわかりません。でも、決して恩送りをしようと思ってしていたわけではない。
むしろ、団長がそれを『恩送りだった』と教えてくれたんです。
今、僕は、この『恩送り』という言葉を使う時があります。
それは、今回、恩は無意識に回るものって気付いたからです。
多分、意識的にするものとはまた、違うのかなぁなんて思っています。
🥬:『おたがいさま』と『おかげさま』
では、この『恩送り』とは一体なんなのでしょうか?
そんなつもりではないのに、『恩を貰ったから返さなきゃ!』と感じるのも少し違う。意図していない解釈をされてしまう可能性もあります。
…で、考えてみたんです。
そもそも、『送る』って意識は必要ないんじゃないか?って。
すると、1つのポスト記事の内容が頭に浮かびました。
もおちゃん | 余白のある暮らし さんの、『どうしてもお金を受け取ってくれない田舎の人たち』という記事。
ここでは、田舎の方々とのお金以外の気持ちの伝え方がリアルに綴られています。
(AIじゃなくてリアルな写真ばかりだから、めちゃくちゃ人間味ある内容!是非読んでみてほしい!)
記事の中のお言葉をお借りすると、
「お互い様」という言葉は、日本語ならでは感覚なのかもしれません。
そしてそれは、誰かに教わるものではなく、こういう場所で、
こういう時間の中で、じわじわと身体に入ってくるものなのだと思います。
おたがいさま、だから、おかげさま。
そう言えるぼくでいたいって思いました。
それだ!!
もおちゃんさんがおっしゃってる通りだと思うんです!!
『おたがいさま』・『おかげさま』
この気持ちこそ、恩送りの基本なんじゃないかなぁって思うわけなんです。
僕の住んでいるところは、クソ田舎の集落。
そこでは、「野菜」のお裾分けがよくおきます。
でも、野菜を持ってくるおばちゃんって、お礼が欲しくてやっているわけではないんですよね。
でも、貰った方は、また違う日に野菜だったり、何かほかのモノを持っていく。
これ、僕の集落でも『恩送り』とは言いません。
『何言いとんの〜。お互いさまやって〜!!』となるわけなんです。
そう思うと、『恩を感じたから返さなきゃ!』って感じる必要は、ないんじゃないのかなと思います。
「おかげさま」・「おたがいさま」。
こんな柔らかくて、ふんわりとした関係があってもいいんだと思います。
(あ、もちろん、あげてめっちゃ喜んでくれる人にはたくさんあげたくなるのはありますヨ✨🥬)
🐣:『おわりに』
恩は、貰ったから返さなきゃと構えるものじゃなくて、
気づいたらいつの間にか巡っているもの。
今回、そのことを、MA団長やジャミさんとのご縁を通じて、改めて教えてもらいました。
僕らは、お会いしたこともないし、直接話したこともない。
それでも、こんなに温かい人間味を感じられるんだなぁって、しみじみ思います。
意識してようがしてまいが、そんなことはどうでもよくて。
ただ、誰かを想う気持ちが、また次の誰かへと自然に渡っていく。
そんな、ふんわりとした関係の中に、僕はこれからも生きていきたいなって思うんです。
MA団長、ジャミさん、もおちゃんさん。
そして、今日この記事を読んでくださったあなたにも。
『おたがいさま』。だから、『おかげさま』。
これからも、そんな気持ちを大切にして人・言葉と向き合っていこうと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。






うちの実家も田舎なので、子どもの頃は近所の方が野菜や果物を持ってきてくださる姿をよく見ていました。
私自身も、よく野菜を配るのを手伝わされたものです。
当時は当たり前の風景だと思っていましたが、今振り返ると、そこには「お互いさま」「おかげさま」の気持ちが自然にあったんだなと感じます。
サブスタックにも、こういう見返りを求めない温かさがあちこちにあふれているように感じます。
何かを頂くと感謝を表したくなりますよね☺️
でも渡す方って無意識が多いかも
受け止めてくれた人が喜んでくれただけで嬉しいですよね